【金崎の退き口】
「江」の伯父織田信長の人生は、桶狭間の勝利以降、順風満帆だったように思われている。しかし事実は異なり、信長の生涯中もっとも苦渋に満ちた数年間が存在した。その苦渋の幕開けとなったのが、1570年、朝倉義景討伐のさなかに起きた「金ヶ崎の戦い」である。
近国でありながら信長の上洛要請を拒絶した大名がいた。かつて足利義昭を庇護していた越前の朝倉義景であった。激怒した信長は同年4月、数万と言われる群勢を率いて越前に向け出陣した。西近江路を北上し若狭に入り、熊川(現:若狭町)国吉(現美浜町)を経て国境の関峠を越え、ついに敦賀になだれ打った。
浅井長政(信長の義弟)裏切りの報せが信長のもとにもたらされた。もし浅井・朝倉連合軍に南北から攻められれば、信長軍は絶対絶命。お市は、兄信長と夫長政の両方とも救うため、謎かけのような贈り物を信長の陣中に届けたと言われている。それが両端をしっかり留めた小豆袋だった。その小豆袋をみて「袋のねずみ」であることを悟り、長政の謀反を確信した信長は、すぐさま撤兵を決意する。 数十人の鉄砲衆を残し、秀吉に殿(しんがり)を託して、自らは一目散に退却した。
この撤退戦を世に「金ヶ崎の退き口」という。
織田信長の生涯の中で最も敗北に近かったのは、浅井長政に裏切られ、朝倉勢との挟み撃ちを受けたこの「金ヶ崎の退き口」であったといわれている。
440年前、ここ金ヶ崎で起こった出来事により、お市と、その娘である三姉妹の運命は大きく変わったのかもしれません。