TOPページ 見どころ 数奇な運命を歩んだ お江・お市・大谷吉継 ゆかりの地モデルコース
数奇な運命を歩んだ お江・お市・大谷吉継
ゆかりの地モデルコース
  ≫ コミニュティーバス ≫その他のコースを見る
 
お江
二度の結婚生活の後、家康の嫡男で後の徳川二代目将軍徳川秀忠の六歳年上の正室となり、三代将軍家光や勝姫(第二代福井藩主・松平忠直の正室)たちを産む。

お市
戦国時代の美人の一人に数えられる美貌の持ち主。兄・織田信長の命により近江国の浅井長政の元へと嫁ぐ。そして長政との間に二男とお江を始めとする三姉妹を授かる。しかし戦国時代の世の中、二度の結婚のち最後は越前北ノ庄城にて自害する。

大谷吉継
裏切りが常の戦国の世に、盟友・石田三成との堅い友情に殉じた大谷吉継。天正17(1589)年には秀吉政権の下、敦賀城主となり、12年間、才能を発揮し、軍事・物流の最重要拠点であった敦賀城下の整備拡大を図った。慶長5(1600)年天下分け目の関ヶ原で、勝ち目のない戦としりつつ西軍光成側について善戦するが、味方の裏切りにより大谷軍は全滅。吉継は自害する。

  人物相関図
 
モデルコース【前地より移動時間(車で)】
玄蕃尾城【25分】(所要時間:約1時間ハイキングコース)   八幡神社【30分】(所要時間:約20分)
玄蕃尾城

柴田勝家が賤ヶ岳の戦いの際に本陣を構えた城。北陸街道と刀根越を同時に抑える要衝

  八幡神社

敦賀城の欄間や礎石、鬼瓦、寄進した石灯篭、愛した茶壷など吉継に纏わるさまざまな歴史的遺産が残されています

敦賀市刀根 敦賀市三島町1−3−3
     
敦賀西小学校前石碑【3分】(所要時間:約10分)   真願寺【5分】(所要時間:約20分)
敦賀西小学校前石碑

吉継の居城であった敦賀城。この小学校には敦賀城の案内碑があり、敦賀城が確かにここに存在したことを教えてくれます

  真願寺

敦賀城の乾門跡に建てられたお寺で、境内には敦賀城の礎石が残っています。真願寺門前には城跡碑もあります

敦賀市結城町8−6 敦賀市結城町14−1
     
永賞寺【5分】(所要時間:約20分)   来迎寺【8分】(所要時間:約20分)
永賞寺

曹洞宗の寺院。大谷吉継の供養塔と伝承を持つ慶長14年造立の層塔があります。吉継生前より菩提寺としており、毎年9月には供養祭も行われています

  来迎寺

敦賀城裏門から移築された中門や客殿には腰高障子(県文化財指定)など当時を感じさせる歴史的遺産が残っております

敦賀市栄新町11−20 敦賀市松島町2−5−32
     
常宮神社【20分】(所要時間:約30分)   山車会館【25分】(所要時間:約30分)
常宮神社

朝鮮の役における吉継の軍監ぶりに秀吉の命により奉納されたと言われる、国宝「朝鮮鐘」があります

  山車会館

入口部分には大谷吉継の武者人形が飾られ、展示コーナーをご用意しております。またここでしか購入できないオリジナル吉継グッズを販売しております

敦賀市常宮13−16 敦賀市相生町7−6
     
地図 地図の詳細
金崎宮
【金崎宮】
 南北朝時代に、恒良親王と尊良親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場で、両親王が奉られています。また織田信長の朝倉攻めの際に、妹のお市の方が浅井氏裏切りの危機を知らせるために両方を紐で結んだ袋に小豆を入れ陣中に届けたというエピソードは有名です。<br>
 440年前、ここ金ヶ崎で起こった出来事により、三姉妹の運命は大きく変わったのかもしれません。春には千本の桜が咲き乱れ、絶好の花見どころとしても知られています。
 
玄蕃尾城
【玄蕃尾城】
 天正11(1583)年に柴田勝家と羽柴秀吉が、信長亡き後の織田軍の指導権を争って戦った「賤ヶ岳の戦い」の際に柴田勝家が本陣を構えた城。北陸街道と刀根越を同時に抑える要衝でありました。妻/お市、娘/お江たちも見届けたであろう父/柴田勝家の最期の勇姿の場「玄蕃尾城」。日本で最も完成された山城と言われています。
 
永賞寺
【永賞寺】
 義の名将、大谷吉継の菩提寺で、関ヶ原の合戦9年後の1609年に、吉継の慰霊のために建てられたと伝わる供養塔があります。 大谷吉継は、豊臣秀吉の小姓から着々と実績を重ね、秀吉政権の下で重用されました。不治の病に冒されながらも「忠義と友情」に殉じた戦国の「智将」であったと伝えられ、現代の若い女性から絶大な支持を得ています。その生涯は、戦国時代の終わりを告げた「関ヶ原の戦い」で幕を閉じました。
   
 
(社)敦賀観光協会コピーライト