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おくのほそ道コース

松尾芭蕉の足跡を辿る

ジャンル:
散策
景色
歴史・文化
所要時間:
半日程度
メイン写真

元禄2年旧暦8月、あの日芭蕉が見つめた敦賀の景色を辿る

俳人・松尾芭蕉の「おくのほそ道」。この旅で彼が敦賀の地を踏んだのは、1689(元禄2)年旧暦8月(現在の9月終わり頃)のこと。旧暦8月14日から16日の敦賀滞在で、氣比神宮~金ヶ崎~金前寺~色ヶ浜~本隆寺を渡り歩いた松尾芭蕉。あの日芭蕉が見つめた敦賀の景色を、俳人気取りでゆっくりたどってみませんか。

① スタート 氣比神宮

氣比神宮

...氣比神宮詳細ページ

市民に「けいさん」の愛称で親しまれる氣比神宮は、大宝2(702)年の建立と伝えられています。7柱のご祭神をまつる北陸道の総鎮守。明治に官幣大社となりました。高さ約11mの大鳥居(重要文化財)は春日大社(奈良県)・厳島神社(広島県)と並ぶ日本三大木造大鳥居の一つ。元禄2年旧暦8月14日の夜に松尾芭蕉が氣比神宮に参拝し、月明かりに照らされた神前の白砂とその云われに感動し「月清し遊行の持てる砂の上」と詠みました。境内には松尾芭蕉の像と句碑があります。

おくのほそ道「敦賀」

やうやう白根が岳隠れて、比那が嵩現る。あさむづの橋を渡りて、玉江の蘆は穂に出でにけり。鴬の関を過ぎて、湯尾峠を越ゆれば、燧が城・帰山に初雁を聞きて、十四日の夕暮れ、敦賀の津に宿を求む。
その夜、月殊に晴れたり。『明日の夜もかくあるべきにや』と言へば、『越路の習ひ、なほ明夜の陰晴はかりがたし』と、あるじに酒勧められて、気比の明神に夜参す。仲哀天皇の御廟なり。社頭神さびて、松の木の間に月の漏り入りたる、御前の白砂、霜を敷けるが如し。
往昔、遊行二世の上人、大願発起の事ありて、自ら草を刈り、土石を荷ひ、泥濘をかわかせて、参詣往来の煩ひなし。古例今に絶えず、神前に真砂を荷ひ給ふ。これを遊行の砂持ちと申し侍ると、亭主の語りける。

「月清し遊行のもてる砂の上」

十五日、亭主の詞にたがはず雨降る。

「名月や北国日和定めなき」

現代語訳

道を進むにつれて白山が見えなくなり、かわって日野山が姿をあらわした。あさむづの橋を渡り、玉江に来ると古歌に知られた蘆は穂が出てしまっていた。鶯の関を過ぎて、湯尾峠を越えると、木曽義仲ゆかりの燧が城・海路山で雁の初音を聞いた。元禄2年旧暦8月14日(現在の9月終わり頃)の夕暮れ、敦賀の港に着き宿をとった。
その夜の月は特に見事だった。宿の主人に「明日の十五夜もこんな素晴らしい名月が見れるでしょうか」と尋ねると、「北陸の天気は変わりやすいから、明日の夜が晴れるか曇るかは分からないですね」と酒を勧められた。その後、氣比神宮に夜の参拝に出かけた。ここは仲哀天皇が祀ってある神社だ。境内は神々しい雰囲気に満ちていて、松の木々の間からは月の光が漏れている。神前の白砂は、まるで霜を敷き詰めたようだ。
「その昔、遊行二世の上人が参詣往来の道の妨げをなくそうという大きな願いを思い立ち、自ら草を刈り、土や石を運んできて、ぬかるみや水たまりの悪路を人が歩けるように整備してくださいました。そのおかげで今は参詣に行き来するのに全く困ることが無くなったのです。それ以来、砂を運ぶ伝統は今でも続いていて、歴代の上人が神前に砂をお運びになっています。これを遊行の砂持ちと呼んでおります」と宿の主人は語った。

「その昔、遊行二世上人が気比明神への参詣を楽にするために運んだという白砂、その白砂を照らす月の光が何と神々しく美しいことだろう」

翌日の15日、やはり宿の主人の言った通り雨が降ることになった。

「今夜は中秋の名月を期待していたが、変わりやすい北陸の天気で、あいにく雨になってしまった」

バス 【氣比神宮前】から「海岸線」で【金崎宮口】へ約2分
バス 【氣比神宮】から「ぐるっと敦賀周遊バス」で【金崎宮】へ約5分
車 氣比神宮から約4分
徒歩 氣比神宮から約15分

② 金ヶ崎城跡・金前寺

金ヶ崎城跡金前寺句碑

...金ヶ崎城跡詳細ページ

南北朝時代、足利軍との戦いに敗れた新田義顕は陣鐘を海に沈めた。のちに国守が海士に探らせたが、陣鐘は逆さに沈み、竜頭が海底の泥に埋まって引き上げることが出来なかった」芭蕉は、宿の主人からこの話を聞いて「月いつこ鐘は沈るうみのそこ」と詠んだとのことです。現在この句は金前寺の境内に立つ句碑・鐘塚に刻まれています。

バス 【金崎宮口】から「海岸線」で【松原公園】へ約9分
車 金前寺から約7分
徒歩 金前寺から約30分

③ 気比の松原

気比の松原

...気比の松原詳細ページ

長さ約1.5km・広さ約40万m2という広大さと、白砂青松のコントラストが印象的な松原。赤松、黒松約17,000本が生い茂る国の名勝地です。三保の松原(静岡県)・虹の松原(佐賀県)と並ぶ日本三大松原の一つです。芭蕉は、翌15日にはこの気比の松原での月見を楽しみにしていました。しかし宿の主人の言ったとおり、あいにくの雨となり「名月や北国日和定なき」と詠みました。

バス 【松原公園口】から「常宮線」で【色ヶ浜】へ約20分
車 気比の松原から約20分

④ 色ヶ浜・本隆寺

本隆寺色ヶ浜

...色ヶ浜詳細ページ

敦賀湾に面したこの浜は水も美しいと評判で、砂の小島2つからなる水島を眺めることもできます。松尾芭蕉も船を仕立て色ヶ浜に渡り、この地でいくつかの句を詠んでおり芭蕉が休息した本隆寺には芭蕉の記文及び句碑が残されています。句碑には,「小萩ちれますほの小貝小盃」「衣着て小貝拾わんいろの月」と刻まれています。

おくのほそ道「種の浜」

十六日、空霽たれば、ますほの小貝ひろはんと、種の浜に舟を走す。海上七里あり。天屋何某と云もの、破籠・小竹筒などこまやかにしたゝめさせ、僕あまた舟にとりのせて、追風時のまに吹着ぬ。浜はわづかなる海士の小家にて、侘しき法花寺あり。爰に茶を飲、酒をあたゝめて、夕ぐれのさびしさ、感に堪たり。

「寂しさや須磨にかちたる浜の秋」

「波の間や小貝にまじる萩の塵」

現代語訳

元禄2年旧暦8月16日(現在の9月終わり頃)、空が晴れたので西行の歌にある「ますほの小貝」を拾おうと色ヶ浜へ海の上を7里ほど舟(※1)を走らせた。「天屋なんとか(※2)」という者が弁当や酒の入った竹筒を心細かに用意してくれ、多くの下人を舟に乗せて賑やかに出発し、追い風ですぐに色ヶ浜に着いた。着いた浜はわずかに漁師の小家があるだけの静かな場所で、侘しげな法華宗の寺(※3)があった。そこで茶を飲んだり酒を温めたりして過ごしたが、夕暮れの寂しさは格別心に迫るものがあった。

「この色ヶ浜の夕暮れは何と寂しいことか、源氏物語で有名な「須磨の浦の秋」のそれよりも勝っている」

「波打ち際の波の間をよく見ると、小貝に混じって赤い萩(※4)の花が塵のように散っている」

※1:当時、色ヶ浜は道が通じておらず、陸の孤島でした。そのため、色ヶ浜へ行くには船を利用する以外に手段がありませんでした。
※2:「天屋何某」は、敦賀の俳壇で活躍していた天屋五郎右衛門という回船問屋で、俳号を玄流と名乗っていました。蓬莱町の居宅跡には「おくのほそ道天屋玄流旧居跡」の標柱があります。
※3:「侘しき法花寺」である本隆寺には、「等栽に筆をとらせて寺に残す。」 と記されている等栽の文書が残っています。
※4:萩は芭蕉の句にちなんで敦賀市の市花にも指定されています。

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