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お江・お市・大谷吉継 ゆかりの地コース

数奇な運命を歩んだ3人が、敦賀の地で見たものとは

ジャンル:
散策
景色
歴史・文化
所要時間:
1日程度
メイン写真

運命の転換の地となった敦賀

お市、お江、大谷吉継、この3人はともに数奇な運命をたどった人物として知られています。そしてこの3人は、敦賀の地にゆかりのある人物でもあります。

このコースは大谷吉継を中心にこの3人にゆかりのある史跡をを巡ります。

人物相関図

お市

戦国時代屈指の美貌の持ち主とされています。

兄・織田信長の命により近江国の浅井長政の元へと嫁ぎ、長政との間には二男とお江を始めとする三姉妹を授かりました。しかし戦国時代の世の中にあって、夫・長政は信長に滅ぼされ、お市らは織田家に引き取られたのち柴田勝家と再婚します。その後も平穏な日々は長続きせず、賤ヶ岳の戦いに敗れ、越前北ノ庄城に追われた夫・勝家とともに自ら命を絶ちました。

信長の朝倉攻めの際に、お市が浅井氏裏切りの危機を知らせるために両方を紐で結んだ袋に小豆を入れ、敦賀の金ヶ崎から陣中に届けたというエピソードは有名です。

お江

浅井長政とお市との間に生まれた三女で、いわゆる浅井三姉妹の一人です。不運な二度の結婚生活の後、家康の嫡男でのちの徳川二代将軍徳川秀忠の正室となり、三大将軍家光や勝姫(第二代福井藩主:松平忠直の正室)たちを産みました。

大谷吉継

裏切りが常の戦国の世に、盟友・石田三成との堅い友情に殉じた武将、また晩年はハンセン病を患い、白い布で頭を覆って戦った武将として知られています。

天正17(1589)年には秀吉政権のもと敦賀城主となり、12年間才能を発揮し、軍事・物流の最重要拠点であった敦賀城下の整備拡大を図りました。慶長5(1600)年、天下分け目の関ヶ原で勝ち目のない戦と知りつつ、西軍三成側について善戦しましたが、味方の裏切りにより大谷軍は全滅し、吉継は自害しました。

① スタート 玄蕃尾城(げんばおじょう)

玄蕃尾城玄蕃尾城

天正11(1583)年に柴田勝家と羽柴秀吉が、信長亡き後の織田軍の指導権を争って戦った「賤ヶ岳の戦い」の際に柴田勝家が本陣を構えた城。北陸街道と刀根越を同時に抑える要衝でした。妻・お市、娘・お江たちも見届けたであろう父・柴田勝家の最期の勇姿の場です。

玄蕃尾城は、日本で最も完成された山城と言われています。

バス 【刀根】から「愛発線」で【敦賀駅】へ、コミュニティバス「松原線」で乗換で【市立病院前】へ約1時間
車 玄蕃尾城から約21分

② 八幡神社

八幡神社八幡神社

敦賀城の欄間や礎石、鬼瓦、寄進した石灯篭、茶壷など吉継にまつわるるさまざまな歴史的遺産が残されています。

徒歩 八幡神社から約3分

③ 西小学校前石碑

西小学校前石碑

吉継の居城であった敦賀城。この小学校には敦賀城の案内碑があり、敦賀城が確かにここに存在したことを教えてくれます。

車 西小学校前石碑から約1分
徒歩 西小学校前石碑から約6分

④ 真願寺

真願寺真願寺

敦賀城の乾門跡に建てられたお寺で、境内には敦賀城の礎石が残っています。真願寺門前には城跡碑もあります。

バス 【松栄町】から「市街地循環線」「海岸線」で【栄新町】へ約7分
車 真願寺から約4分
徒歩 真願寺から約10分

⑤ 永賞寺

永賞寺供養塔

曹洞宗の寺院。大谷吉継の供養塔と伝承を持つ慶長14年造立の層塔があります。吉継生前より菩提寺としており、毎年9月には供養祭も行われています。

バス 【氣比神宮前】から「松原線」で【松島口】へ約5分
車 永賞寺から約5分
徒歩 永賞寺から約22分

⑥ 来迎寺

来迎寺中門

敦賀城裏門から移築された中門や客殿には腰高障子(県文化財指定)など当時を感じさせる歴史的遺産が残っています。

バス 【松島口】から「常宮線」で【常宮】へ約13分
車 来迎寺から約15分

⑦ 常宮神社

常宮神社

朝鮮の役における吉継の見事な軍監ぶりは「吉継に百万の大軍の軍配を預けてみたい」と秀吉に言わしめたほどでした。この役で持ち帰った「朝鮮鐘」(国宝)は、吉継の手で慶長二年(1597)に秀吉の命により常宮神社に奉納されたといわれています。

バス 【常宮】から「常宮線」で【神楽2丁目】へ約15分
車 常宮から約16分

⑧ みなとつるが山車会館

みなとつるが山車会館

「敦賀まつり」で使われる山車を一堂に展示。入口部分には吉継の武者人形が飾られています。山車会館オリジナルの吉継グッズも販売しています。

バス 【山車会館】から「市街地循環線」で【金崎宮口】へ約4分
車 みなとつるが山車会館から約6分
徒歩 みなとつるが山車会館から約14分

⑨ 金崎宮

金崎宮難関突破守

織田信長が朝倉攻めの折り、信長の妹お市は、信長が浅井・朝倉両軍に挟まれ窮地に陥ったことを知らせるため、両方を紐で結んだ袋に小豆を入れ陣中に届けたそうです。それを察した信長は後に近江姉川にて浅井・朝倉軍を破ることができたそうです。

このエピソードから、金崎宮は難関突破の宮とも言われています。

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